「掛け捨ての親切」への理解メモ
めんたねさんの4つのツイートについて、そこになにが書かれているのかを自分なりに理解したことを書いた。
記事では、めんたねさんのツイートの内容だけに触れたので、自分がそれを読んでどう思ったのか・感じたのかということは書いてはいなかったので今時点の考えをメモしておこうと思う。
一言でいえば件の話は「無理をすると自分がしんどくなるから無理をしないようにしよう」ということだと思うのだが、それを言っては身もふたもなくなってしまう。
この件で一番のポイントは、相談者のような人間であると感じた。
相談者は悩んでいるから相談に来るのであって、悩んでいない人間もたくさんいるだろう。もしくは、悩んでいることに気づかないか。
めんたねさんのツイートから、「掛け捨て 親切」で検索したものをリンクする。
(一部、会話のツイートがあったのでそこは割愛した)
「(相手を恨まずに気持ちよく毎日を過ごすために)他人にかけてもよいコストは自分が掛け捨てしてもいいと思える量まで」というプチ親切運動をわりと身の回りの人たちに提唱しているのだが、実は恋愛においてもそれをやっていたのだな、と今になると気づくのであった。
— めんたね(やさしい) (@mentane) 2015年7月29日
世間から多くを奪われ、感情貯金が少なくなった人は「許す」「謝る」「相手の下に入る」「譲る(掛け捨ての親切をする)」のが苦手だ。ただでさえ少ない預金を減らすのは精神的にキツイから仕方がない。彼らは殴られれば殴り返しに行く。いつ殴られるのか?と身構えて警戒もしている。
— めんたね(やさしい) (@mentane) 2016年2月8日
お互いに相手を攻撃しあい、傷つけあうような悪循環のループにはまってしまったとき、そこから抜け出して、再びお互いに与え合う好循環のループに人間関係を戻すための唯一の手段が「謝る」「許す」「下に入る」「譲る(掛け捨ての親切を行う)」などだ。これができると、関係性を変える影響力を持てる
— めんたね(やさしい) (@mentane) 2016年2月8日
恨みをたくさん抱えている人は他人に頭を下げられなくなってしまうので、他人の失敗を許せないだけでなく、謝れない、感謝できない、頭を下げてものを頼めない、掛け捨ての親切をしてあげられないなど、たくさんの不自由を抱え込む。その結果、人間関係でトラブったり、他者といるだけで消耗する。
— めんたね(やさしい) (@mentane) 2019年6月16日
服従Sというのは、相手の期待に応えてあげたり、こちらから相手が喜ぶかもしれない親切をしてあげたりすることなのだけど、「見返りを期待する親切」と「掛け捨てでも気にならない親切」の二種類がある。#SMマトリックス pic.twitter.com/naUwASKPWI
— めんたね(やさしい) (@mentane) 2019年9月23日
快楽のラインで他人と好循環のループを回し、感情貯金を増やす。そのコツは自分にとってどこからどこまでが見返りを一切期待せず、気軽に掛け捨てできる親切になるのかを把握して、その範囲で服従Sをやっておくことだ。ソフト服従Sだけをやり、ハード服従Sを一切やらない。 #SMマトリックス pic.twitter.com/crnGHuP983
— めんたね(やさしい) (@mentane) 2019年9月23日
親切にしてあげて、見返りが一切なくても気にならず、気分よくやってあげられる。そんな掛け捨て可能な親切のラインを知って、そういう小さな親切を周りにばらまいておくと、自分の精神衛生上もよいし、他人からも好かれるという美味しい戦略である。
— めんたね(やさしい) (@mentane) 2020年5月29日
見返りがないと不満に感じてしまったり恨んでしまったりするレベルの親切はよくない。それはまだ自分には過大すぎる。自分の親切レベルに合わせた掛け捨て可能な親切をばらまこう。そのためにも、まずは自分の掛け捨て可能なラインがどのへんなのかを知っておく必要がある。
— めんたね(やさしい) (@mentane) 2020年5月29日
ときどき「掛け捨て可能な親切が一切思いつかないと気づきました……」って落ち込む人が出るので気を付けてください。いや、「気を付けてください」って言われても、どう気を付ければ?って話ですよね。
— めんたね(やさしい) (@mentane) 2020年5月29日
これらのツイートを読んでいると、1つ気が付くことがあった。
めんたねさんは、「掛け捨ての親切」を、このように考えたら楽になりますよ、という意味・文脈で使っているのだ。
前回の4つのツイートでもそうであった。
相談者の辛い気持ちに、このように考えたら楽になりますよ、というひとつの道を示している。
その道は今あなたの歩んでいる、石がゴロゴロしていて舗装されておらず歩くのに苦労している道よりも歩きやすいですよ、と。
もちろんめんたねさんはその道を強制的に歩ませようとしているのではない。ただ、あなたが今の道を歩きづらいと感じているのであったら、このように考えることで少しは歩きやすくなりますよ、どうですか?と言っている。
この「歩きづらい」という感覚は個人によって異なるので、全然平気!という人もいる。平気な人はそのまま歩いて行けばよい。しかし、歩きにくいと感じている人に、そのまま歩き続けろというのは酷だ。
この歩きにくいという感覚が「生きづらさ」であって、「掛け捨ての親切」というものはしなければならないものではなく、生きていく上での「処世術」の一つであるとそのように今の時点では理解している。 (12/06/2020 40分)