底無しの浅瀬に底はあるのか

レン話ツイッター案件まとめ

「掛け捨ての親切」への理解メモ

めんたねさんの4つのツイートについて、そこになにが書かれているのかを自分なりに理解したことを書いた。

 

ddddddco2.hatenablog.com

 

記事では、めんたねさんのツイートの内容だけに触れたので、自分がそれを読んでどう思ったのか・感じたのかということは書いてはいなかったので今時点の考えをメモしておこうと思う。

 

一言でいえば件の話は「無理をすると自分がしんどくなるから無理をしないようにしよう」ということだと思うのだが、それを言っては身もふたもなくなってしまう。

この件で一番のポイントは、相談者のような人間であると感じた。

相談者は悩んでいるから相談に来るのであって、悩んでいない人間もたくさんいるだろう。もしくは、悩んでいることに気づかないか。

めんたねさんのツイートから、「掛け捨て 親切」で検索したものをリンクする。

(一部、会話のツイートがあったのでそこは割愛した)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これらのツイートを読んでいると、1つ気が付くことがあった。

めんたねさんは、「掛け捨ての親切」を、このように考えたら楽になりますよ、という意味・文脈で使っているのだ。

前回の4つのツイートでもそうであった。

相談者の辛い気持ちに、このように考えたら楽になりますよ、というひとつの道を示している。

その道は今あなたの歩んでいる、石がゴロゴロしていて舗装されておらず歩くのに苦労している道よりも歩きやすいですよ、と。

もちろんめんたねさんはその道を強制的に歩ませようとしているのではない。ただ、あなたが今の道を歩きづらいと感じているのであったら、このように考えることで少しは歩きやすくなりますよ、どうですか?と言っている。

この「歩きづらい」という感覚は個人によって異なるので、全然平気!という人もいる。平気な人はそのまま歩いて行けばよい。しかし、歩きにくいと感じている人に、そのまま歩き続けろというのは酷だ。

この歩きにくいという感覚が「生きづらさ」であって、「掛け捨ての親切」というものはしなければならないものではなく、生きていく上での「処世術」の一つであるとそのように今の時点では理解している。             (12/06/2020 40分)